『田園の詩』NO.70 「石拾い」 (1997.7.29)


 アメリカの火星探査機「マーズ・パスファインダー」が火星着陸に成功し、着陸機や
小型探査車「ソジャーナー」の観測した赤い惑星の生々しい画像が地球に送られて
きています。

 それを見ると、火星の表面は砂地で大小の石(岩?)がゴロゴロしているようです。
2億キロ離れていても、観測によってそれらの成分までも分かるのですから、いまさら
ながら科学の発達に驚きます。

 ところで、アメリカ航空宇宙局の研究者のみならず、転がっている火星の石を地球に
持って帰れたらと誰でも思うことでしょう。当の私も切に望む一人なのです。

 趣味というよりクセといったほうがいいのかもしれませんが、私は旅をした時など、
お土産代わりに石を拾って帰ります。河原や海辺や山に転がっている、ちょっと見かけ
の良い石を探して持ち帰り、本棚や出窓などに飾っています。

 「お金が掛からなくていいですネ」と女房は言いつつも、ガラクタとしか思えない石が、
だんだん増えるのには閉口しているようです。

 そんな女房が小さな座布団まで作ってくれて飾っている石があります。それは、30年
くらい前に、霧島屋久国立公園の高千穂峰の頂上で拾って持ち帰ったものです。握り
こぶしくらいの白っぽい石の姿が、どこかお地蔵さんに似ていて可愛いのです。


      
      後列中二つが地蔵石です。他の石にも、鵜石、米石、鳩石・・など名前を
       付けています。右は中国・敦煌で拾って来た石です。



 じつは、毎日話しかけるようにして楽しんでいるこの地蔵石に、私は心に掛かることが
ひとつあります。それは、柳田国男の『山の背比べ』という文章を読んで以来のことです。

 山は、「お前より俺の方が高い」と、お互いに張り合いながら背比べをしているらしい
のです。ですから、頭の上の石を持っていかれるのを嫌います。それだけ低くなるから
です。

 高千穂峰は長い間私を恨んでいることでしょう。いつか大きな石を担いで持って行かね
ばと思っています。

 民族学的にいえば、月や火星から石を貰うのなら、地球からそれ相応の石を持って行か
ねばならないのかもしれません。             (住職・筆工)

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